2024年の日本テレビ『24時間テレビ47』で放送されるスペシャルドラマのテーマとなった萩本欽一さんの妻の萩本澄子さん。
そんな萩本澄子さんの経歴やプロフィール、萩本欽一さんとの馴れ初めも気になるところですね。
こちらの記事では、
- 萩本澄子のwiki経歴
- 萩本澄子のwikiプロフィール
- 萩本澄子と欽ちゃんとの馴れ初め
についてまとめます。
萩本澄子のwiki経歴まとめ
萩本澄子さんの経歴がこちらです。
年齢 | 経歴 |
---|---|
18歳~ | ストリッパー(踊り子) |
21歳 | 萩本欽一さんとの馴れ初め |
24歳 | 萩本欽一さんと一緒に暮らす |
不明(昭和42年頃) | 破局(ストリッパーを辞める) |
不明(昭和46年頃) | 湘南に住む |
不明 | 結婚 |
18歳:ストリッパー
萩本澄子さんは、18歳の時から
ストリッパー(踊り子)
として東洋興業に所属していました。
萩本澄子さんは、芸名『高峰みゆき』として舞台に立っていたそうです。
なぜストリッパーになった?
萩本澄子さんがストリッパーになった理由は、
家族を助けるため
です。
当時、家業に失敗し破産した家族を助けるためにストリッパーとして家族を支えていたそうです。
21歳:萩本欽一さんとの馴れ初め
萩本澄子さんと萩本欽一さんとの最初の出会いは、
東洋劇場
です。
当時、萩本欽一さんは18歳の新人、萩本澄子さんは21歳でした。
一方萩本澄子さんは『高峰みゆき』として一番人気の看板女優という立場でした。
24歳:萩本欽一さんと一緒に暮らす
萩本澄子さんが24歳の頃に、
萩本欽一さんと一緒に暮らす
ようになりました。
住んでいた場所は、豆腐屋の2階の四畳半という部屋でした。
コメディアンとしての素質があると思った萩本澄子さんは、萩本欽一さんを金銭面で援助をしていたようですね。
欽ちゃんはヒモ生活だった?
まだ萩本欽一さんが売れっ子ではなかった下積み時代、萩本澄子さんから金銭的な援助を受ける
いわゆるヒモのような生活
をしていたそうです。
昭和30年~50年頃駆け出しのコメディアンたちは浅草のストリップ劇場で修業を積み、ヒモ生活をするのは当時のよくあることだったそうです。
破局
しばらく同棲生活で面倒を見ていた萩本澄子さんでしたが、昭和42年頃萩本欽一さんと
破局
しました。
萩本欽一さんから別れを告げたようですね。
この頃萩本欽一さんがコメディアンとして売れ始め、坂上二郎さんとのコンビ『コント55号』が大ブレークしました。
ストリッパー(踊り子)とコメディアンの関係は、売れると女の元を去るということが当たり前の世界だったようです。
ストリッパーを辞める
売れっ子となった萩本欽一さんと破局しましたが、マスコミによって結婚の噂が週刊誌で報じられていた萩本澄子さん。
萩本欽一さんに迷惑がかからないようにするため、
ストリッパー(踊り子)の仕事は辞めました。
そして、浅草を去り別の場所のスナックなどで働いたいたそうです。
湘南に住む
萩本澄子さんは、萩本欽一さんの元を離れて
湘南に住みました。
そんな萩本澄子さんのことが気がかりだった萩本欽一さんは萩本澄子さんを探しました。
そして4年ぶりに2人は再会しました。
萩本欽一さんは、これまで面倒を見てくれた萩本澄子さんに対して金銭的な援助を始めました。
そして次第に萩本澄子さんの元へ通うようになったそうです。
結婚
破局していた萩本澄子さんと萩本欽一さんが
電撃結婚
しました。
萩本欽一さんは、突然「実は僕、結婚して子どもがいます」とNHKの記者会見で発表しました。
この時、すでに長男を出産していた萩本澄子さん。
そしてまた萩本澄子さんは萩本欽一さんの前から姿を消してしまったそうです。
居場所が分からない状態での、結婚発表。
もちろん、萩本澄子さんにも知らされておりません。
この記者会見でのプロポーズがきっかけで萩本澄子さんは萩本欽一さんと一緒になる決心がついたそうです。
萩本澄子のwikiプロフィールまとめ
萩本澄子さんのプロフィールがこちらです。
- 名前:萩本澄子
- 生年月日:推定1938年
- 年齢:萩本欽一さんの3歳年上
- 出身地:不明
- 職業:元ストリッパー
- 所属:東洋興業
- 芸名:高峰みゆき
まとめ/萩本澄子のwiki経歴プロフまとめ!
今回は、萩本澄子さんのwiki経歴プロフィールについてまとめました。
萩本欽一さんを陰で支え続けた萩本澄子さん。
これからも萩本欽一さんを応援していきましょう。